「個性をあおられる子ども」~自分探しの旅への変貌~

社会学者の土井隆義は個性が重視される現代の若者の「個性的」のとらえ方が、従来考えられた「個性的」の概念とは違ったものになっている。と指摘している。

若者たちが切磋する個性とは、社会の中で作り上げていくものではなく、あらかじめもって生まれてくるものです。人間関係の中で切磋琢磨しながら培っていくものではなく、自分の内面へと奥深く訳は言っていくことで発見されるものです。

自分の本質は、この世界に生まれ落ちたときからすでに先在していると感受されているのです。

 したがって、もし自分の本質がよくわからないとすれば、それは自分の内部に住んでいるはずの可能性にまだ気づいていないからだということになります。

自分らしさをうまく発揮できていないのでは、自分が輝いていると感じられないのは、秘められた「本当の自分」をまだ発見できていないからにすぎないのです。

だから重要なことは、なんとかそれを見いだして、うまく開花させることだと思っているのです。

(「個性」を煽られる子どもたち 土井隆義

 

「個性」も就業や訓練によって身に着けるのではなく、内に向かう「自分探し」の末に見つけるのものに変貌してしまったのだろうか。

産業革命からIT革命へ。われわれは精神構造そのものを変えようとしている

 ネオサピエンス ~回避型人類の登場~  著者:岡田尊司

 

 産業革命は、われわれの社会構造を大きく変えたが、情報通信革命(IT革命)は、われわれの精神構造存在様式そのものを変えようとしている。

さらに、どこで同時進行しているのが、愛着障害と「脱愛着化」である。

そして、この愛着システムの変化こそが、生物としての人類のあり方を根底から覆そうとしている。

 

 愛着崩壊の過程で、「現代の奇病」ともいうべき愛着関連障害が多発した。

境界性パーソナリティー障害、摂食障害、子どものうつや躁うつ、ADHD(決意欠落・多動性障害)など。

1960年代頃から目につき始め、80年代以降急増、2000年代には爆発を起こしている。

 

 境界性パーソナリティー障害のような不安型(とらわれ型)をベースにした愛着関連障害に比べれば、当事者が今にも死にそうだということもなく、表面的にはずっと穏やかで、苦しさや生きづらさを自らアピールすることも少なかったので、背景に隠れがちだったのだ。

その問題とは、「回避型愛着障害というもう一つの産物である。

 

回避型とは、

他者との情緒的な関わりに喜びも関心ももたず、誰とも希薄な絆しかもたないタイプで、そうした人々が急増し、気が付いたら、三割にも達しようとしている地域もある。

回避型は、近代化以前の社会では、ほとんどは認められないタイプとされる。

 

回避型愛着は、激変する環境に適応するために生み出されたものだと言える。

 愛着を捨てることで、彼らは愛着崩壊という困難な社会環境の激変を乗り越えようとしている。

 

それは一時的な適応戦略として生じたもので、人間としては何ら変わることはない―。

 

「回避型人類」と「共感型人類」の旧人類の差は、肉食動物と草食動物ほども異なる。

 両者は全く異なる行動スタイルと価値観を持ち、全く別の社会を求めようとする。

 いま両者の間でせめぎあいと混乱が起きているが、やがて急速に回避型の人々が増えていけば、社会は新たな段階に突入し、まったく異なる様相と仕組みを呈するようになるだろう。

 「共感型人類」との共存は成り立つのか。 

 「回避型人類」が世界を埋め尽くすのか。

その時、回避型人類の社会では何が起きるのか。

 「回避型人類」の幸福とは。

その答えを知ったとき、あなたは、新人類(ネオサピエンス)として生きることの耐えられるだろうか。

 

  つづく。